4月14日、俳人協会幹事の倉橋みどりさんをお迎えして、第20回 花はさくら 千年の想いゆかしき ことばでお花見 春をことほぐ俳句入門 体験会を開催しました
歌、古典文学の世界では「花」=「桜」
川端康成の言葉にもあるように、日本人の美意識の究極ともいえる「雪月花」
美しいだけでなく、儚く切ないもの。
今回は、そんな「花」の季語がつかわれた俳句を鑑賞。倉橋さんが、俳句の読みとき方をレクチャーしてくださいます。
世界で一番短い型のある詩歌といわれる俳句。
ルールは、十七音にすること。季語を入れること。この二つしかありません。
「うまい下手はともかく、誰でもできます!」と倉橋さん。
とはいえ「季語」と聞くと、何だか突然難しく感じてしまいます。
そんな私たちに倉橋さんは「ハードルをあげないでください」とも。
季語は季節を感じさせる言葉。季語を集めた『歳時記』も暗記するものではありません。
季語は出会うもの、見つけるもの。決して難しく考える必要はありませんとニッコリ。
倉橋さんが今回紹介してくださった俳句は、芭蕉に虚子、そして現代俳人の方の名句十六選。“初桜”に“花の雨”、“花衣”や“花疲れ”といった多彩な花の季語がつかわれた句を倉橋さんに解説いただき、みんなで鑑賞。
「さまざまの事おもひ出す桜かな 芭蕉」
すでに芭蕉が生きて、感じた時代は遠く、その思いも知ることのない今、私たちはそれぞれにこの句に何を思うのか。
「花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ 杉田久女」
からだに纏わる色とりどりの紐をほどく時、さながら絵巻の主人公のように。思うは花見の後の気だるさか、未だ残る高揚感か。
「鉄棒に折りたる花の夜のからだ 鳥居真里子」
夜桜の下、鉄棒にひとりからだを預ける心は如何。
俳句は、くどくどと説明するものではなく、たくさんの感動の要素を削って削って、煮詰めて、一番感動したところを表現したもの。
作者の本当の気持ち、正解は誰にもわかりません。
その句の背景を、作者の心を、想像し、妄想することも俳句の楽しみ。
わからないところは、あなたが埋めていいですよというのが俳句の懐の深さ。なにより自分の感じたことを大切にします。
今回の講座では、倉橋さんの解説と違うイメージが浮かんだらメモを取り、最後に参加者それぞれが心に響いた一首を発表するというもの。
同じ句でも、様々な想像や妄想が広がり、共感したり、新しいイメージにハッとさせられたり……。
鑑賞を楽しんだあとはご自身のために詠んでほしいと倉橋さん。
俳句とは、日本に暮らす私たちが季節を愛で、生きているってありがたいなと感謝する詩歌。
日常の小さな幸せに気づくきっかけを与えてくれます。ちょっとした時間を見つけたら「五七五をつくろう」というチャンネルをもつことを勧めてくださいました
大阪では造幣局の桜の通り抜けが始まったばかりのこの日。
季節のめぐりに感謝するとともに、俳句の幸せを満喫した一日でした。