2024年4月5日 金曜日 @箕面市立メイプルホール・小ホール
能楽小鼓「櫻座」公演 春うらら にほんの美しい音色・謡にて
父である観阿弥から受け継いだ あるいは 感じ取った ものの見方考え方を 世阿弥は36〜37歳の頃『風姿花伝』 晩年60歳を過ぎた頃『花鏡』にまとめた
それらは 劇団のオーナー兼プロデューサーでもあった世阿弥が 自身の劇団をいかに存続させるか? について考える時 当然 クリアすべき 役者の修行方法 ライバル劇団に勝ち 観客の興味をひくには といった課題に対する秘伝であり 芸術のための芸術論の様な抽象的なレベルに止まらない より具体的な場面に落とし込まれた芸能社会を勝ち抜くための戦術書であった
世阿弥は すべてを「関係」の中で読み解き「関係」は常に変化し続けるものと考え「関係」の中でどのように自己の芸能を全うするかを説いた
そんな世阿弥の言葉で 最も有名なものは 「初心忘るべからず」であろう
これは 能の修行を始めた当初の 若い頃の気持ちを忘れないことを意味するが 世阿弥の説く初心は それに止まらない
年齢を重ね 新しいステージへと階段を上る時 必ず未経験の課題に挑戦することになる
その際 過去に新しいステージに挑戦した際の 失敗をきちんと糧とし 自らの至らなさを受け入れながらも 新しい試練に立ち向かう心構えを「初心忘るべからず」という言葉に込めている
老境に差し掛かった頃には 老齢期に見合う芸風を身に着けること
老いるということもまた 未経験の状況であり 何かを失うと同時に 何か新しいものを得る試練の時 即ち「初心」であることを意識せよ と説く
世阿弥は 父 観阿弥が逝去する直前の舞いを見て 世阿弥の考える「芸術の完成」を確認した旨 述べている
観阿弥の舞は 動かず控えめだったにもかかわらず 老いても その舞に 観阿弥の体現する芸が 花と咲き それを感じさせたという
世阿弥は これら三つの初心について「ぜひ初心忘るべからず」「時々の初心忘るべからず」「老後の初心忘るべからず」とするが より詳細については 筆者がここで述べるよりも はるかに内容に富んだものが ネット上にいくらでも見つかるので 是非 調べてみて欲しい
さて 筆者は この三つの初心に加えて 第四の初心を提唱したいと思う
それは「観客の初心忘るべからず」である
演者の技術が上がり 熟練の度合いが高まるにつれ 演者はより高度な技術を理解する観客を重宝しがちだ
右も左も分からない初心者の振る舞いについて 上からの目線で 苦言を呈してしまいがちになる
しかし 実に当たり前のことであるが 誰でも最初は 初心者なのだ
観客は 初心の段階を 如何に 潤沢に過ごすか? それこそが そのジャンルのファンを沢山作り出し また ファンを熟成させるヒントでもある
休憩をはさんで 約2時間にわたって行われた公演は 「春」をテーマにした能楽囃子のアンソロジーを解説を交えながら奏し 謡(うたい)を披露する第一部と 参加してくれたお客様も交えて 謡を唱和する第二部からなる
第一部では 「熊野(ゆや)」「鞍馬天狗(くらまてんぐ)」「桜川(さくらがわ)」「西行桜(さいぎょうざくら)」「嵐山(あらしやま)」といった「春」を題材とした人気曲を 能楽小鼓<櫻座>の世話役 大倉流小鼓方 能楽師 荒木建作さん 久田陽春子(ひさだやすこ)さん お二人のナビゲートで じっくり 聴いて にほんの美しい音色 謡の心地よさに浸った
もちろん お二人の小鼓だけでなく<謡と演技を担当する観世流シテ方> 伴奏担当の囃子方として<森田流笛方><観世流大鼓方>の三名を加えた5名の編成で 演目は披瀝された
演奏の前には 楽曲に関する細かな解説が 必ずなされて 初心者のお客様にも しっかり寄り添う
第二部では 「嵐山」の短い詞章に 能独特の節をつけて 演者と一緒に 謡ってみる
能に参加する ワークショップとなった
ここでも 非常に丁寧な指導がなされ 初心者のお客様でも 十分 楽しめる内容になっていた
とかく 古典芸能というもの 初心の内は 歴史や格式に圧倒され 親しみが持てない 良く分からなくて身構えてしまう といった態度に陥りがちである
しかし 新しく入門しようとする 正に奇特とも言える 初心者たち
彼らが感じる壁を取り払い 門戸を大きく開かなければ 例え650年も続いた能とはいえ 未来は決して明るいものではない
古典を ガラス張りのケースに大事に大事に陳列された骨董品ではなく 現代人にとっても ヴィヴィッドな 正に今を生きる音楽として 聴くことが出来れば 彼らの中に眠る<にほん>と再会するまたとない機会として 能は機能するに違いない
すべては まず 実際に聴いてみる 一緒に謡ってみることから始まる
その意味で 能楽小鼓<櫻座>が行った公演は 彼ら演者自身にとっても これから入門しようとする初心者にとっても 稀有な時間の共有と言えるのである
個人的に非常に面白かったのは 能が8拍子というリズムで演奏されるという点で 能もまたアジアの民族音楽の一つであることを痛感させられた
非常に類型的なお話になって申し訳ないが ヨーロッパのミュージシャンは 特殊な例を除いて おおよそ 3拍子か4拍子でしか演奏しない
ただし メロディやハーモニー つまり 音符同士の関係性の構築にヨーロッパの音楽は長けている
一方 アフリカ インド インドネシアといった非ヨーロッパ圏のミュージシャンにとって 5拍子は変則的なリズムとは認識されていない
ポリリズムのように複数のリズムが共存するケース(バリ島のケチャ ロシアの民間伝承にヒントを得たストラヴィンスキーの『春の祭典』等)なども ごく普通に 自然に存在するのである
小鼓が5 7 8拍目を 強弱を込めて打ち(鼓は下から上に打つ とのことで これは世界の打楽器の中で唯一とのことであった。一方 胴にまかれているひもを締めたり緩めたりすることで 音色を変える仕組みは アフリカにトーキングドラムという もともと 遠隔の伝言や通信に利用されていたドラムがあり 音色の変えられる打楽器は 小鼓だけではない) そこに大鼓が つづけ として 4拍目を打って 小鼓の音間を埋める
囃子は はやすに由来するが そもそも 生える 良くする 水を差す といった意味があり この小鼓と大鼓の音響の交錯が 実に生き生きとした 命の本流を感じさせるのだ
それは 「春」という 全てがリセットされ あらゆる生き物が再生し 生き生きとした活動をリスタートとさせる場面に相応しい 音色である
高揚した気分 新しい何かが始まる期待
「春」の訪れは 実は あらゆる人々にとって 「初心」を思い起こさせる季節の始まりなのだ
佐藤貴志 satoh takashi 略歴
大阪府富田林市にて生まれる。大阪市立大学法学部卒。大学生時代、ドアーズのデビューアルバム『ハートに火をつけて(原題:The Doors)』、T.レックスの『メタル・グゥルー』、キングクリムゾンの『太陽と戦慄』を聞いて音楽に目覚め、その後、クラシック、ジャズ、民族音楽、エクスペリメンタル等々、様々な音楽との出会いを経て、多くのリスナーに知られざる音楽の普及に努めている。神戸の某企業にて10年間、カタログ販売による音楽事業を展開。
現在、音楽ブログ〈いわし亭〉主宰。いわし亭Momo之助を名乗り、肆音(しおん)『音楽ばかいちだい』を更新中。カルチャー倶楽部「みのおてならい」コンサート音響担当、同倶楽部の「音楽の森ツアーガイド」としてリポートを執筆。
2019年6月29日開催「アンドレス・セゴビアに捧ぐ クラシックギター 〜そらのあなたを聴くしらべ」
2020年9月12日開催「右手のピアニスト 樋上眞生 Replay」
2021年8月9日開催 みのおてならい・箕面市立文化芸能劇場開館記念催事「星を想う朗読会」
2022年7月2日開催 みのおてならい朗読倶楽部 市民朗読会「七夕の会」
2022年12月2日開催 「箕面の森 アンティークオルゴール演奏会 妖精たちのピックヨウル」